物の良し悪しとか、善悪とか、幸不幸とか、受け取る側の価値観の違いなんかで変わってしまうもの。
「自分にとっての何か」だけでなく、「誰かにとっての何か」まで分かろうと努めている人間って、 いったいこの世にどれだけいるのだろうか。こんにちは、エスです。 最近、自分って何なんだろうとよく考える。 何なんだろう、とは誰かにとって自分が何なのかということじゃなく、 自分という存在はいったい何者なんだろう、ってことだ。 我々は、この世に生を受けた瞬間から何かの影響を受け続けている。 例えば気候や風土、文化や言語、もっと細かく言うなら親の生活習慣等、 それこそスポンジが水を吸うように、赤子は周囲の全てを吸収するだろう。 否、赤子は産まれる場所や時、親を選ぶことができず、また自我を持たず、 与えられたものを吸収するよう強制されている、とも言える。 さて、我々は北朝鮮の国民や、ある種のカルト集団的な人々を見て、 「洗脳」されている、というように感じることはないだろうか。 漫画やアニメ、ゲーム等で、敵方が罪なき一般人を操ったり…、 なんて時にはしばしば用いられ、悪っぽいイメージの湧くワードだ。 とりあえずYahoo!!辞書で「洗脳」の意味を参照してみる。 1. 共産主義社会における思想改造。中華人民共和国成立後の、 旧体制の知識人などに対する強制的な思想改造を非難したbrainwashingに由来。 2. その人の主義や思想を根本的に改めさせること。「―されて組織に入る」 前者に関しては…、まぁ言わずもがな。問題は後者だ。 後者は広義の意味での「洗脳」だが、仮に後者の洗脳の定義で当てはめると、 ノートで言えば白紙に近いであろう時期、つまり改めるべき主義も主張もない頃に行われる教育などは、 「洗脳」と呼べるのではないだろうか? しかし一般にそれを洗脳とは言わない。むしろ、そういった初等教育は重要視され、 その人物個人を確立するためには、必要不可欠であると言ってもいいだろう。 そこでふがいないYahoo!!辞書の変わりに、一般的な「洗脳」に近づくよう、 自分なりに後者を再定義してみる。 2-b. その人の主義や思想を"悪意を以って"、根本的に改めさせること。 これならば、先ほどのような教育は除外され問題ないように思われる。 だが待ってほしい…。この"悪意"とは誰にとっての悪意なのだろうか? そもそも何かを良いとか悪いと感じるか、なんてものは価値観の違いによる。 そして我々は最初から自分だけの、確固たる価値観を持って生まれてくるわけではない。 我々は価値観さえも、何かから、誰かから得たものを混ぜ合わせて構成している。 何かを悪と感じることさえも、誰かによって改められた、書き加えられた価値観でないと確信できないのだ。 であるなら、2-b.の定義には何の意味はなく、Yahoo!!辞書のままで問題はない。 つまり「洗脳」か、そうでないかを客観的に区別することは不可能なのだ。 そう考えてみると、いったい自分という人間は何者なんだと思えてくる。 価値観までもが、自分ではない何か・誰かによって構成されてしまっている自分…。 確固たる自分など、どこまでいっても存在しないのだろうか? そこである結論にたどりついた。 自己という存在に疑問を持ち、「自分はいったい何者なんだ」と問い続けること。 それこそが、自分は確固たる自分であるという証明ではないだろうか。 自分ははやたんのように哲学書を読んだりはしないし、歴史上の人物にもあまり興味はないが、 「我思う、故に我在り」という言葉に、今更ながら納得している。 逆に、自己に対して何の疑問も抱かない人間は…。 話は変わるが今回のタイトル。 とあるギャルゲーの、とあるヒロインのルートを終えた時の感想だ。 途中の話はなんかイマイチというか、自分的にはテンポが悪かったのだが、 最後のシーンはそこそこ考えさせられるというか、綺麗な終わり方だと思った。 駄菓子菓子! EDテーマの後、挿入されたエピローグの最後の最後。 背景がフェードアウトしていく中、画面中央に表示されたのは「BAD END」の文字…。 「GOODかBADかくらい俺に決めさせろッ!!」
by es_kiss
| 2008-11-25 12:26
| 雑記
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